回復、という言葉に、抵抗を感じるかもしれない。
「回復するということは、あの人を忘れるということか」「元に戻るということか」「もう悲しまなくなるということか」──自死遺族にとって、「回復」という言葉はしばしば脅威として響く。あたかも、悲しみの対岸に渡ることを強いられているかのように。
このシリーズを通じて見てきたように、自死遺族の悲嘆には、罪悪感、怒り、スティグマ、トラウマ反応、反事実的思考、家族内の温度差──複数の構造的な困難が重層している。それだけの重さを抱えた悲嘆が、ある日突然「回復した」状態に移行することは、あたりまえだが、ない。
では、回復とは何か。
この回では、第1回で紹介した二重過程モデル(Dual Process Model, DPM)をもう一度取り上げ、自死遺族の経験に即して深く読み直す。そして、自死遺族への支援(ポストベンション)のエビデンスと、「回復」の意味を、現実的な視座から見つめる。
二重過程モデル再訪──喪失志向と回復志向
Stroebe & Schut(1999)が提唱した二重過程モデル(DPM)は、悲嘆プロセスの理解において最も影響力のある枠組みのひとつだ。
DPMの核心は、遺された人が二つの志向のあいだを振動(oscillation)するという観察にある。
喪失志向(loss-oriented coping)──故人のことを思い出す、泣く、故人との関係を振り返る、悲しみに浸る。これは喪失そのものに向き合うプロセスだ。
回復志向(restoration-oriented coping)──日常生活に取り組む、新しい役割を引き受ける、将来について考える、楽しいと感じる瞬間を持つ。これは喪失後の世界に適応するプロセスだ。
重要なのは、DPMがこの二つを段階ではなく同時的な振動として描いていることだ。悲嘆は「悲しい段階」から「回復の段階」へ一方向に進むのではない。ある日は深く喪失志向に沈み、翌日は回復志向に振れ、その翌日にまた喪失志向に戻る──この行ったり来たりこそが、DPMが描く健全な悲嘆プロセスだ。
さらに、DPMは両方の志向の間に「休息」の時間がある──どちらにも向き合っていない瞬間──ことも認めている。何も感じない時間、ただぼんやりしている時間。これもまた、悲嘆プロセスの一部として位置づけられている。
DPMの実際の臨床的含意として重要なのは、振動のどちらか一方に長く留まること自体が問題なのではなく、振動そのものが停止することが問題になる、という点だ。何日も喪失志向に沈んでいることは、それ自体では「悪い」ことではない。何日も回復志向に振れていることも同様だ。重要なのは、ある程度の時間スパンで見たとき、二つの志向のあいだをゆるやかに行き来しているかどうかだ。一方に完全に固着し、もう一方に一切触れない状態が長期間続くとき──それが凍結のシグナルになる。
自死遺族にとってDPMはなぜ「壊れやすい」のか
DPMは、悲嘆一般に対して広く適用可能な枠組みだ。しかし、自死遺族の場合、DPMが想定する振動がうまく機能しない条件が複数揃っている。
第一の障壁──トラウマが喪失志向を妨げる。
第6回で詳しく見たように、自死遺族の多くはトラウマ反応を併発している。故人を思い出そうとすると(喪失志向)、あの日の記憶がフラッシュバックとして侵入する(トラウマ反応)ため、故人を思い出すこと自体が回避の対象になる。DPMの喪失志向に自然に接近できない──これが振動の一方を封じてしまう。
第二の障壁──罪悪感が回復志向を妨げる。
日常に戻ろうとすると(回復志向)、「あの人が死んだのに自分は笑っていいのか」「普通に暮らすことはあの人への裏切りではないか」という罪悪感が作動する。第2回で見た不作為の罪悪感と、第8回で見た「自己赦しは裏切りか」という問いが、回復志向のたびに再起動する。DPMの回復志向に進むことが、道徳的に不可能なように感じられる──これが振動のもう一方を封じる。
第三の障壁──「なぜ」が振動を侵食する。
第7回で見た反事実的思考と意味探索は、喪失志向にも回復志向にも属さない第三の力として作動する。「もしあのとき」は喪失志向の一部のように見えるが、故人を思い出すことではなく、起きなかった別のシナリオを構成することであり、悲嘆の処理には直接寄与しない。「なぜ」の探索は心的エネルギーを際限なく消費し、喪失志向にも回復志向にも使えるリソースを枯渇させる。
これら三つの障壁が同時に作用するとき、DPMの振動は凍結する。どちらの志向にも進めず、「なぜ」のループにエネルギーを吸い取られ、遺族はどこにも動けない場所に留まる。
春先の公園、咲き始めの並木とベンチ横の古い自転車、人物は写らない
ポストベンション──遺された人への支援のエビデンス
第1回で紹介したShneidman(1972)のポストベンション概念は、「自殺の予防の次に重要なのは、遺された人への介入である」と述べた。では、その「介入」には具体的にどんなエビデンスがあるのか。
Andriessen et al.(2017)は、自死遺族への介入の効果に関する系統的レビューを行った。その結果、以下のことが示されている。
第一に、自死遺族に特化したグループ支援(ピアサポート)は、悲嘆症状の軽減と社会的孤立の緩和に効果がある。第3回と第5回で見たように、スティグマと語れなさが自死遺族の孤立を固定化するが、同じ経験を持つ人との場で「言っても大丈夫だった」という体験がひとつでもあると、孤立の構造が内側から揺らぐ。日本では全国各地で「自死遺族の集い」「分かち合いの会」が開催されている。全国自死遺族総合支援センターのウェブサイトから、各地の情報を得ることができる。
第二に、個別の心理療法──特に認知行動療法(CBT)ベースのアプローチ──は、複雑性悲嘆の症状軽減に効果がある。ただし、自死遺族に特化した治療プロトコルの効果研究はまだ限られており、今後のエビデンスの蓄積が期待されている。自死遺族のケアに取り組む臨床家の育成も、今後の重要な課題だ。
第三に、介入のタイミングが重要だ。喪失直後はトラウマ反応が強く、悲嘆の処理に入れない場合がある。Jordan(2008)のアクティブ・ポストベンション・モデルは、喪失直後の「安定化」フェーズ(安全の確保、情報提供、社会的ネットワークの支援)と、その後の「悲嘆の処理」フェーズを区別している。最初に必要なのは、悲嘆を深く掘り下げることではなく、今日を生きるための基盤を確保することだ。
日本における自死遺族支援の現状にも触れておきたい。全国自死遺族総合支援センターが運営する相談窓口のほか、各都道府県の精神保健福祉センターが窓口を設けている場合がある。また、NPO法人や民間団体が運営する分かち合いの会は、都市部を中心に定期的に開催されている。すべての会が同じ形式ではない──グループでの対話を中心にするもの、専門家がファシリテートするもの、参加者だけで進めるもの──各自に合った形を探してよい。オンラインでの支援も広がりつつある。対面の場に出向くことが難しい場合にも、電話相談やオンラインの集いという選択肢がある。「支援を受ける」ことの敷居を、自分に合った高さに調整できることが大切だ。
「問いの質」が変わるとき
第7回の終わりで、Neimeyer(2001)の臨床的観察として「問いの質の変化」を紹介した。「なぜこれが起きたのか」から「この体験を持った自分はどう生きるか」へ──この質的な変化が、回復の一つの指標になりうるということだ。
この変化は、DPMの言語で言えば、喪失志向に固着していた認知が、回復志向に少しずつ開かれていくプロセスに対応する。「なぜ」を問わなくなるのではない。「なぜ」を問いながらも、「それで、自分の今日はどうするか」という問いが並走し始める。二つの問いが共存する──これもまた、DPMが描く振動のひとつの形だ。
この変化は強制できるものではないし、すべての人に同じタイミングで起きるものではない。何年経っても「なぜ」が中心にある人もいる。それは「回復できていない」のではなく、その人の悲嘆プロセスがまだ「なぜ」の空間にある、ということだ。問いの質が変わる時期は、計画するものではなく、振り返って初めて気づくものであることが多い。
「回復」とは何か──何が変わり、何が変わらないか
ここで、このシリーズの文脈における「回復」の意味を明確にしておきたい。
回復とは、悲しみが消えることではない。大切な人を自死で失った悲しみは、おそらく生涯を通じて完全には消えない。それでいい。悲しみが消えないことは、あなたとあの人との関係が本物であったことの証だ。
回復とは、悲しみの「居場所」が変わることだ。悲しみが人生のすべてを覆い尽くしていた状態から、悲しみが人生の一部──重要な一部ではあるが、全部ではない──として共存する状態へ。DPMの言葉で言えば、喪失志向と回復志向の振動が──固着や凍結ではなく──ある程度の柔軟さを持って機能し始めること。
Worden(2009)の悲嘆の課題モデルでは、第四の課題を「故人が存在しない世界の中に故人の居場所を見つけ、新しい生活に踏み出すこと」と定義している。最終回となる第10回では、この「故人の居場所」──「継続する絆(continuing bonds)」──について、自死遺族の文脈で深く見つめる。
回復を阻む「もう大丈夫でしょ」
最後に、回復をめぐるひとつの危険について触れておきたい。
周囲が──善意で──「もう○年経ったから大丈夫でしょ」「そろそろ前を向いたら」と言うとき、それは遺族の回復を促すどころか、回復を妨げることがある。
なぜなら、これらの言葉は暗に「あなたの悲嘆にはもう期限が来ている」「まだ悲しんでいるのはおかしい」と伝えているからだ。第3回で見たスティグマの構造が、ここでも作動する。悲嘆に「正しいタイムライン」があるという暗黙の前提が、遺族の回復志向を「もう大丈夫な自分を演じること」に変容させる。本当に回復志向に振れるのではなく、回復しているふりをすることで周囲の期待に応える──これはDPMが想定する回復志向とは根本的に異なる。
自死遺族の回復に必要なのは、「いつまでに」という期限ではなく、「自分のペースで揺れ動いてよい」という許可だ。その許可は、外部から与えられる場合もあるし、自分自身の中で見出す場合もある。いずれにしても、回復とは「悲しみから卒業する」ことではなく、悲しみを抱えながら、今日を生きるための少しの余地を見つけることだ。
回復の「正しい速度」は存在しない。1年で回復の形が見える人も、10年かかる人も、一生涯にわたって喪失志向と回復志向のあいだを揺れ続ける人もいる。どの時間軸も、その人にとっての正当なプロセスだ。重要なのは速度ではなく、振動が──凍結ではなく──自分なりのリズムで機能しているかどうかだ。
振動をゆるやかに取り戻すために
DPMの振動が凍結した状態から、少しずつ振動を取り戻していくには何が助けになるのか。
Jordan(2008)のアクティブ・ポストベンション・モデルは、自死遺族への支援を段階的に整理している。第一段階は安定化(stabilization)──安全の確保、基本的な日常機能の回復、睡眠や食事の支援、情報提供。第二段階は悲嘆の処理(grief processing)──喪失志向への安全な接近。第三段階は再接続(reconnection)──社会的関係の再構築、意味の再構成、新たな日常への適応。
重要なのは、これらの段階が「順番に完了する」ものではなく、行ったり来たりするものだという認識だ。安定化が進んだと思えば悲嘆の波が来て、再び安定化に戻る。悲嘆の処理が進んだと思えば、トラウマの記念日反応で再接続が中断される。この行ったり来たりは、DPMの振動そのものだ。
ただし、凍結が長く続いている場合──日常機能に著しい支障がある、希死念慮がある、トラウマ反応が6ヶ月以上持続している──は、専門家の支援を受けることが回復の基盤を作る。自死遺族のトラウマと悲嘆の両方に対応できる臨床家は、日本ではまだ数が限られているが、自死遺族支援に理解のある相談窓口(全国自死遺族総合支援センター等)から情報を得ることができる。
そして、専門家に相談すること、分かち合いの会に参加すること、あるいはこのシリーズを読むこと──いずれも、「自分が壊れているから助けが必要だ」ということではない。自死遺族の悲嘆が構造的に困難であることは、ここまで7回にわたって見てきたとおりだ。構造的に困難なものに対して支援を求めることは、弱さではなく、自分を大切にすることの表れだ。
今回のまとめ
- 二重過程モデル(DPM)は、喪失志向と回復志向の「振動」を健全な悲嘆プロセスとして描くが、自死遺族の場合はトラウマ・罪悪感・反事実的思考という三つの障壁により振動が凍結しやすい
- ポストベンションの介入──ピアサポート、個別心理療法──には悲嘆症状の軽減に関するエビデンスがある(Andriessen et al., 2017)
- 「なぜ」の問いから「この体験を持った自分はどう生きるか」への問いの質の変化は、回復の指標のひとつになりうる(Neimeyer, 2001)
- 回復とは悲しみが消えることではなく、悲しみの「居場所」が人生のすべてから人生の一部へと変わることだ
- 周囲の「もう大丈夫でしょ」は、回復を促すのではなく妨げる──自死遺族の回復に必要なのは、期限ではなく「自分のペースで揺れ動いてよい」という許可だ
次回 → あの人がいた世界で、生きていく──最終回では、継続する絆と、答えの出ない問いを抱えて生きることを見つめる。