「意味を見つける」の先へ
ここまでのシリーズで、意味に関する二つの立場を見てきました。フランクルの「意味は見つかる」(第3回)と、カミュの「意味はない」(第6回)。どちらも重要な洞察ですが、現代の心理学はこの二つの間に第三の立場を提示しています。意味は世界に埋まっているものを「発見する」のでもなく、存在しないと「断言する」のでもなく、人間が状況との相互作用の中で「構成する(make)」ものだという見方です。
この第8回では、クリスタル・パークの意味構成モデル(meaning-making model)を中心に、意味がどのように揺れ、壊れ、再構成されるかのプロセスを見ていきます。
パークの意味構成モデル──全般的意味と状況的意味
クリスタル・パーク(Crystal Park)は、ストレス、喪失、トラウマへの対処研究を統合し、意味構成モデル(meaning-making model)を提唱しました。このモデルの核心は、二つの「意味」の区別にあります。
全般的意味(global meaning)。これは、その人が世界と自分について持っている包括的な信念・目標・主観的感覚の体系です。「世界はおおむね公正だ」「努力は報われる」「自分は有能な人間だ」「家族が最も大切だ」──こういった、日常を暗黙に支えている前提の総体。普段は意識されませんが、あらゆる判断と行動の土台になっています。
状況的意味(situational meaning)。特定の出来事に対する評価です。ある出来事が「なぜ起きたのか」「自分にとって何を意味するのか」「自分はどう影響を受けるのか」──こうした個別の意味づけです。
パークのモデルが強調するのは、全般的意味と状況的意味の間に不一致(discrepancy)が生じたとき、意味構成のプロセスが始まるということです。
具体的にはこうです。ある人が「努力は報われる」という全般的意味を持っている。この人が仕事で理不尽な左遷をされる(状況的意味:「自分の努力は無視された」)。全般的意味(努力は報われる)と状況的意味(努力は報われなかった)が衝突する。──この不一致が、苦しみの源泉であり、同時に意味構成の駆動力になります。
これは理不尽の心理学シリーズ(§4-43)の枠組みと直接つながります。あのシリーズで扱った「正しかったのに報われない」は、まさに全般的意味(公正世界信念)と状況的意味(不公正な結果)の不一致です。パークのモデルは、この不一致への対処プロセスを体系化したものと言えます。
不一致への二つの対処──同化と調節
全般的意味と状況的意味の不一致に直面したとき、人は主に二つの方向で対処しようとします。
同化(assimilation)。状況的意味を全般的意味に合わせて修正する。つまり、出来事の解釈を変える。「左遷されたのは、実は自分の成長のためだったのかもしれない」「あの失敗があったから今の自分がある」──出来事そのものは変えられないが、その出来事の「意味」を全般的意味と整合するように再解釈する。
調節(accommodation)。全般的意味のほうを修正する。「世界はおおむね公正だ」という信念を「世界は必ずしも公正ではない。よいことをしても報われないことがある」に変える。──出来事を受け入れるのではなく、世界に対する前提そのものを更新する。
ここで重要なのは、どちらも「意味構成」であり、どちらが良い悪いではないということです。同化がうまく機能することもあれば──「あの経験のおかげで強くなった」──調節が必要なこともある──「世界は自分が思っていたほど安全ではなかった」。状況によって、適切な対処は異なります。
しかし、どちらの対処もうまくいかないとき──出来事が全般的意味に同化できるほど小さくなく、全般的意味を調節するほど自分が柔軟でもないとき──不一致は解消されないまま残ります。この解消されない不一致が、持続的な苦しみ、意味の喪失感、実存的空虚の一つの原因です。
意味構成と「後悔」──過去の出来事の再解釈
パークのモデルは、後悔の心理学シリーズ(§4-39)で扱ったテーマに新しい視角を提供します。
後悔とは何か。パークのモデルで読み替えると、後悔は「自分の過去の選択」という状況的意味と、「自分はよい選択ができる人間だ」「あの選択以外にもっとよい道があった」という全般的意味の間の不一致です。過去の選択が「間違いだった」と感じるのは、自分の全般的意味(自分は合理的に判断できる)と、結果の状況的意味(その判断はうまくいかなかった)が衝突しているからです。
後悔への対処も、同化と調節のどちらかの方向をとりえます。同化は「あの選択にも意味があった」「あの選択があったからこそ今がある」──出来事の再解釈。調節は「自分は完璧な判断者ではない。人は間違える」「最善の選択をしても結果が伴わないことがある」──自己と世界に対する前提の更新。
第3回で紹介したフランクルの態度価値──変えられない状況に対してどのような態度をとるか──は、パークのモデルでは主に「同化」の側に位置づけられます。出来事は変えられないが、その出来事に対する態度(=意味づけ)は変えられる。一方、第6回のカミュの不条理の引き受けは「調節」に近い。「世界には意味がある」という全般的意味を「世界には意味がないかもしれない」に調節する。フランクルとカミュの対比は、パークのモデルでは同化と調節の対比として整理できるのです。
ポストトラウマティック・グロース──苦しみの後の成長という問い
意味構成と深く関連する概念として、ポストトラウマティック・グロース(PTG: Post-Traumatic Growth)があります。テデスキとカルフーンが提唱したこの概念は、トラウマティックな出来事を経験した後に、一部の人が以前よりも深いレベルで成長を遂げることを指します。
PTGには五つの領域が報告されています。①他者との関係の深まり、②新たな可能性の認識、③個人としての強さの自覚、④人生に対する感謝の深まり、⑤実存的・スピリチュアルな変化。
パークのモデルで言えば、PTGは大規模な調節プロセスの結果です。全般的意味が根本から揺さぶられ、それでも崩壊せず、より現実に即した──しかし以前より深い──全般的意味へと再構成された場合に、PTGが生じうる。
加害の心理学シリーズ(§4-41)で扱った「自分が誰かを傷つけた」という体験もまた、全般的意味(「自分はまともな人間だ」)と状況的意味(「自分は人を傷つけた」)の激しい不一致を生みます。この不一致の処理が、自己像の調節──自分も傷つける可能性を持った人間であることを受け入れる──を通じて、より複合的な自己理解へと至ることがある。これもPTGの一形態です。
ただし、PTGについては重要な注意が必要です。すべてのトラウマが成長につながるわけではない。PTGは「トラウマを経験してよかった」ということを意味しません。PTGの研究者自身が繰り返し警告しているように、「あの苦しみのおかげで成長できた」という物語を強制することは、苦しみの只中にいる人に対する暴力になりえます。ここにも、第5回で見た「意味の圧力」の構造があります。「苦しみから意味を見出すべきだ」が新たな圧力にならないよう、慎重さが求められます。
さらに、意味構成プロセスそのものが停滞する場合があります。全般的意味と状況的意味の不一致が大きすぎるとき──たとえば長年信じてきた世界観を根底から覆すような出来事に直面したとき──同化も調節もうまく機能せず、不一致が解消されないまま何年も持続することがある。この状態は「意味の空白」とも呼ばれ、慢性的な実存的空虚の一因です。パークのモデルでは、この停滞を「意味構成の失敗」とは呼びません。むしろ、構成プロセスの時間的スケールが個人によって大きく異なることを認めます。ある人は数ヶ月で全般的意味を調節できるが、別の人には何年もかかる。そしてその間は、方向感覚のない非常に苦しい時間が続く。ここで第2回のネガティブ・ケイパビリティが再び重要になります。意味構成が停滞しているとき、安易な同化──「きっとこれにも意味があるはず」──に飛びつくのではなく、構成途上の不確実さの中にとどまる力が求められるのです。
ボーマイスターの意味の四需要
意味が何から構成されているのかについて、ロイ・ボーマイスター(Roy Baumeister)は意味の四需要(four needs for meaning)を提唱しています。人が「人生に意味がある」と感じるためには、以下の四つの需要が少なくとも部分的に満たされている必要があるとするモデルです。
①目的(purpose)。現在の行動が未来の何かにつながっているという感覚。「これをしているのは、将来こうなるためだ」──行動と結果をつなぐ時間的な方向性。
②価値(value)。自分の行動が「正しい」「良い」と感じられること。道徳的な正当化、あるいは「こうあるべきだ」と自分が信じる基準に沿っているという感覚。
③効力感(efficacy)。自分の行動が何かを変えられるという感覚。自分の行動が結果に影響を与えている──無力ではないという実感。
④自己価値(self-worth)。自分は価値のある人間だという感覚。他者からの承認でもよいし、自分自身の基準による評価でもよい。
この四需要のモデルは、意味の喪失がどのレベルで起きているのかを切り分けるのに役立ちます。
たとえば、定年退職後の空虚感。目的(仕事という方向性の喪失)と効力感(自分の行動が社会に影響を与えている感覚の喪失)が同時に崩れていることが多い。──「役に立たない自分」シリーズ(§4-44)で扱った構造そのものです。
あるいは、燃え尽きた後の虚しさ。目的(目標に向かっていたが、達成してしまった or 断念した)の不在が中心かもしれない。──第1回で述べた「達成後の空虚」は、ボーマイスターのモデルでは目的需要の突然の喪失として理解できます。
あるいは、理不尽な出来事の後の怒り。価値(正しいことをしたのに報われない──道徳的正当性への信頼の崩壊)と効力感(自分の行動が結果に影響しない──無力感)の複合的な崩壊。──理不尽の心理学シリーズ(§4-43)のテーマです。
すべてが一度に崩壊すると、実存的空虚が訪れる。四需要のどれか一つが残っていれば──たとえ他の三つが揺らいでいても──完全な空虚には至りにくい。逆に言えば、意味の回復は、四つすべてを一度に回復する必要はない。一つの需要を部分的に回復することが、全体の回復の起点になりうるのです。
構成主義としてのフランクル再読
ここで、フランクルの思想をパークとボーマイスターの枠組みから読み直してみます。
第3回で紹介したフランクルの三つの価値──体験価値、創造価値、態度価値──は、意味を「見つける」三つの経路でした。しかし、構成主義の視点から見ると、フランクルの「見つける」は必ずしも「世界に埋まっているものを掘り出す」という意味ではなく、状況との相互作用の中で自分が意味を構成する三つの様式として読めます。
体験価値──美しいものに触れ、愛する人と過ごすことで得られる意味──は、体験に対して受容的な態度をとることで構成される。体験それ自体が意味を「持っている」のではなく、体験に開かれた態度が意味を構成する。
創造価値──何かをつくり、世界に与えることで得られる意味──は、行動を通じて意味を構成する。ボーマイスターの四需要で言えば、目的と効力感の充足です。
態度価値──変えられない苦しみに対する態度から得られる意味──は、パークのモデルで言えば同化プロセスそのものです。出来事を変えられないとき、出来事に対する態度を通じて状況的意味を再構成する。
フランクルを「意味の発見者」として読むか「意味の構成者」として読むかは、解釈の問題です。しかし、構成主義的に読むことで、フランクルの洞察は「意味が世界に客観的に存在する」という形而上学的な主張を必要としなくなり、より多くの人──信仰を持つ人も持たない人も──にとって利用可能になります。
意味構成の実際──何が「つくる」を可能にするか
意味が「構成される」ものだとして、では何がその構成を促進するのか。研究が示すいくつかの要因を挙げます。
語り(narrative)。自分の経験を言葉にすること──書くこと、誰かに話すこと──は、意味構成の最も基本的な形式です。出来事をバラバラな断片のままにしておくと、意味構成は進みにくい。言語化することで、出来事に時間的な順序と因果関係が与えられ、「物語」としてのまとまりが生じる。後悔の心理学シリーズ(§4-39)で触れた「過去を語り直す」ことは、パークのモデルでは全般的意味と状況的意味の不一致を言語的に処理するプロセスです。
時間。意味構成は即座に完了するものではありません。パークのモデルでは、不一致の解消には数ヶ月から数年を要することがある。「今は意味が分からないが、いつか分かるかもしれない」──この「まだ分からない」の状態に耐えることは、第2回で紹介したネガティブ・ケイパビリティ(答えが出ない状態に留まる力)そのものです。意味の構成を急がないことが、より深い意味構成を可能にすることもある。
他者。意味は個人の内面だけで構成されるのではなく、他者との関係の中で構成されることが多い。自分の経験を聴いてもらうこと。他者の経験を聴くこと。共通の経験を持つ人々との対話。──ヤーロムの実存的孤独の所与が教える通り、最終的には自分の意味は自分にしか分からない。しかし、その構成プロセスは他者の存在によって促進されます。第6回のカミュの連帯──不条理を共有する者同士のつながり──も、この文脈に位置づけられます。
行動。次回で詳しく扱いますが、意味は「考える」だけでは構成されにくい。行動を通じて世界と相互作用することが、意味構成の素材を提供します。何かをやってみる、誰かに会ってみる、新しい体験をしてみる──これらの行動が、全般的意味を更新する材料になる。行動と意味構成の関係は、第5回のACTの「行動が先、意味は後」と一致しています。
「意味が見つからない」を構成主義はどう受け止めるか
構成主義的な意味の見方は、「意味が見つからない」という体験をどう位置づけるでしょうか。
フランクル的な見方では、意味が見つからないのは「まだ見つけていないだけ」であり、探し続ければいつか見つかるはず──という希望が含まれます。カミュ的な見方では、意味がないのは前提であり、それでも生きる──という覚悟が含まれます。
構成主義的な見方は、この二つとは異なるニュアンスを持ちます。意味は世界に客観的に存在するものではないし、永久に不在であると断定するものでもない。意味は、自分と世界の相互作用の中で、構成されたり壊れたりするものです。今、意味が感じられないのは、全般的意味と状況的意味の不一致が解消途上にあるか、意味構成の素材(語り、時間、他者、行動)がまだ十分に集まっていないか、あるいは調節が必要なのに同化を無理に試みているか──いくつかの可能性があります。
この見方の利点は、意味の不在を固定的な状態として捉えないことです。「意味がない」は最終結論ではなく、意味構成プロセスの特定の段階──不一致が解消される前の過渡的な状態──として理解できる。ただし、「いつか必ず意味が見つかる」と約束するわけでもない。意味構成のプロセスは開かれているが、特定の結果を保証しない。
この「保証はないが可能性は閉じない」という構えは、シリーズを通じて繰り返してきた基本姿勢です。意味が見つかるかもしれない(フランクル)。見つからないかもしれない(カミュ)。あるいは、見つけるのではなく、暮らしの中で少しずつ構成されていくのかもしれない(パーク)。──どの可能性も閉じずに、今日を過ごす。次回は、その「今日を過ごす」の具体的な中身を、ACTの価値に基づく実践から検討します。
古い木製の本棚と散らばったノート、柔らかい間接照明の書斎写真、人物は写らない
今回のまとめ
- パークの意味構成モデル──全般的意味(世界への包括的な信念体系)と状況的意味(個別の出来事の評価)の不一致が意味構成を駆動する
- 不一致への二つの対処──同化(出来事の解釈を変える)と調節(世界への前提を変える)
- フランクルの態度価値は同化に、カミュの不条理の引き受けは調節に対応する
- ポストトラウマティック・グロース──大規模な調節プロセスの結果として成長が生じうるが、すべてのトラウマが成長につながるわけではない
- ボーマイスターの意味の四需要──目的・価値・効力感・自己価値──のどのレベルで意味が揺らいでいるかを切り分けることが重要
- 意味構成を促進する要因──語り、時間、他者、行動
- 構成主義は意味の不在を固定的な状態ではなく、構成プロセスの過渡的な段階として理解する
- 「保証はないが可能性は閉じない」──意味は見つけるものでも存在しないものでもなく、構成されうるもの