「あの時期の記憶がない」── 解離性健忘と記憶の断裂

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公開 2026-04-07

子ども時代のある時期だけ記憶がない。あの出来事の前後が思い出せない。解離性健忘の心理学的構造と、記憶が「消える」メカニズムを解き明かす。

あの時期の記憶だけが、ない。それは偶然ではないかもしれない。

ある人が言う。「小学校3年生から5年生までの記憶がほとんどない」。

別の人が言う。「あの事故の日のことは覚えている。でも、事故の直前から数時間後まで──その部分だけが、すっぽり抜けている」。

また別の人が言う。「引っ越す前の家に住んでいた頃の記憶はある。でも、なぜ引っ越したのか、その前に何があったのかが、まったく思い出せない」。

通常の「物忘れ」とは違う。昨日の夕食のメニューが思い出せないのとは、質的に異なる体験だ。特定の時期、特定の出来事、特定の人物に関する記憶が──まるでファイルごと削除されたかのように──存在しない。

これが、解離性健忘(dissociative amnesia)と呼ばれる現象だ。

解離性健忘は、第1回で紹介した解離の連続体の中で、離人感・現実感消失よりも「深い」位置にある。離人感では「自分がここにいない」と感じる。現実感消失では「世界がリアルでない」と感じる。しかし解離性健忘では、体験そのものが意識の記録から脱落する──「ここにいなかった」ことになるのだ。

記憶はどのように「消える」のか

まず、基本的な確認をしておきたい。解離性健忘における記憶の「消失」は、脳の損傷による記憶喪失──器質性健忘──とは異なるメカニズムで生じる。

器質性健忘──たとえば頭部外傷や脳卒中による──では、記憶の符号化(encoding)そのものが障害されていることが多い。つまり、そもそも記憶が形成されなかった。損傷した脳領域が記憶を「記録」できなかったのだ。

解離性健忘では、事情が異なる。記憶は形成されていると考えられている。体験はあった。脳はそれを記録した。しかし、その記録へのアクセスが遮断されているのだ。

Janet(1889)が最初に記述したこの現象を、現代の認知神経科学は以下のように理解している。

記憶の想起には、大まかに二つのプロセスが関与する。一つは貯蔵(storage)──記憶が脳内に保持されること。もう一つは検索(retrieval)──保持された記憶が意識に呼び出されること。解離性健忘は、主にこの検索プロセスの障害として理解されている。

Anderson & Green(2001)の研究は、人間が意図的に記憶の検索を抑制できることを実験的に示した。彼らの「Think/No-Think」パラダイムでは、被験者が特定の記憶を「思い出さないように」する訓練を繰り返すと、後にその記憶を想起しようとしても想起が困難になることが確認された。つまり、検索の抑制が繰り返されると、記憶へのアクセス経路そのものが弱体化する。

解離性健忘では、この検索抑制が意識的ではなく自動的に起きていると考えられている。トラウマ的な体験に付随する記憶は、想起されるたびに強烈な情動──恐怖、恥辱、無力感──を引き起こす。脳は、この情動的な衝撃から自分を守るために、当該記憶の検索経路を自動的に遮断する。これは、前回までに見てきた「心の非常口」の延長線上にある──ただし、離人感や現実感消失が「今ここ」からの離脱であるのに対し、解離性健忘は「過去」からの離脱だ。

古いアルバムが開かれた状態でテーブルに置かれている、ページの一部が白く飛んでいて写真が見えない、アルバムの隣に拾い上げたような古い鍵がひとつ、人物は写らない、記憶の中に空白がある感覚
古いアルバムが開かれた状態でテーブルに置かれている、ページの一部が白く飛んでいて写真が見えない、アルバムの隣に拾い上げたような古い鍵がひとつ、人物は写らない、記憶の中に空白がある感覚

解離性健忘のタイプ

DSM-5は、解離性健忘を以下のように分類している。

①限局性健忘(localized amnesia)。特定の期間──とりわけトラウマ的出来事の直後数時間から数日──の記憶が欠落する。最も頻度が高い形態だ。「事故の瞬間から病院で目覚めるまで」「地震が起きた日の記憶がない」──こうした限定的な記憶空白がこれにあたる。

②選択性健忘(selective amnesia)。特定期間のすべてではなく、一部の出来事だけが想起できない。同じ時期の記憶が部分的には残っているのに、特定の出来事──多くの場合、最も苦痛に満ちた出来事──だけが欠落している。「あの年の学校のことは覚えているのに、家での出来事が思い出せない」というパターンは、選択性健忘の典型だ。

③全般性健忘(generalized amnesia)。自分の人生史全体──名前、経歴、家族関係を含む──の記憶が失われる。極めてまれだが、重度のトラウマ後に報告されることがある。

④連続性健忘(continuous amnesia)。ある時点以降の新しい記憶が形成されない、あるいは想起できない。進行中の体験が記憶に定着しない状態。

⑤体系化健忘(systematized amnesia)。特定の人物、特定の場所、特定のカテゴリの情報に関する記憶だけが選択的に失われる。「ある特定の家族のことだけが思い出せない」というパターンがこれにあたる。

これらの分類は、記憶の欠落パターンが一様ではないことを示している。解離性健忘は「記憶がない」という単一の現象ではなく、何が、どの範囲で、どのように欠落しているかが多様な現象だ。

解離性遁走──「自分を忘れて歩き出す」

解離性健忘の特殊な形態として、解離性遁走(dissociative fugue)がある。

遁走状態では、当事者は自分の身元──名前、住所、経歴──を忘れ、その状態のまま予期しない旅や移動を行う。数時間で「我に返る」場合もあれば、数日から数週間にわたる場合もある。遁走中、当事者は外見上は正常に機能していることが多い──道を歩き、食事をし、時にはバスや電車に乗る。しかし、遁走前の記憶にアクセスできず、「自分が誰であるか」がわからない状態にある。

遁走から「覚醒」したとき、当事者は多くの場合、遁走中の記憶を持っていない。「気がついたら知らない場所にいた」「どうやってここに来たのか分からない」──こうした体験として報告される。

DSM-5では、解離性遁走は単独の診断カテゴリではなく、解離性健忘の下位特定子(specifier)として位置づけられている。頻度はまれだが、存在自体は複数の文化圏で報告されており、文化特異的な現象ではない。重度の心理的ストレス──戦闘、災害、虐待の発覚──が先行することが多い。

解離性遁走が示すのは、解離性健忘が記憶だけでなくアイデンティティそのものの断裂に至りうるということだ。「自分の過去を忘れる」ことは、「自分が誰であるかを忘れる」ことと地続きにある。なぜなら、私たちの自己同一性──「私は○○であり、こういう人生を歩んできた」という感覚──は、自伝的記憶の連続性に支えられているからだ。記憶が断裂すると、アイデンティティもまた断裂する。

「覚えていない」と「忘れた」の違い

解離性健忘を理解するうえで重要な区別がある。「覚えていない」と「忘れた」は同じではない

通常の忘却──新しい情報による干渉、時間経過による減衰──では、記憶は徐々に薄れる。細部から失われ、骨格だけが残り、最終的には「あったような気がする」程度のぼんやりした痕跡になる。この過程は連続的であり、急激な断裂を伴わない。

解離性健忘における記憶の欠落は、この連続的な減衰とは質的に異なる。記憶は「薄れた」のではなく「遮断されている」のだ。周辺の記憶は鮮明なのに、特定の部分だけがきれいに抜け落ちている──まるで、本のページが何枚か引き抜かれたように。この「きれいな断裂」が、通常の忘却と解離性健忘を区別する臨床的な手がかりになる。

また、解離性健忘の当事者の多くは、記憶が欠落していること自体に長く気づかない。これは一見矛盾しているように聞こえるが、実際にはよくある体験だ。「小学校の話をする」という場面で、特定の学年の思い出が出てこない。しかし本人は、それを「特に印象に残る出来事がなかっただけ」として処理する。記憶の空白を「空白として認識しない」──この現象は、解離性健忘が自己保護的な仕組みであることと整合する。脳は記憶へのアクセスを遮断しただけでなく、遮断されていることへの気づきも遮断しているのだ。

気づきは、多くの場合、外的なきっかけで突然訪れる。同級生と再会して思い出話をしたとき。セラピーの中で時系列を整理しようとしたとき。子どもが自分の幼少期と同じ年齢になったとき。──「あれ、あの時期のことが全然思い出せない」。この気づきは、しばしば強い不安や混乱を伴う。

トラウマと解離性健忘──「覚えていられない」体験

解離性健忘とトラウマの関連は、解離研究の中心的なテーマのひとつだ。

van der Kolk(2014)は、『身体はトラウマを記録する(The Body Keeps the Score)』の中で、トラウマ記憶が通常の自伝的記憶とは異なる形で貯蔵されることを論じている。通常の記憶は「物語」として──時系列があり、文脈があり、言語化可能な形で──海馬を介して貯蔵される。しかしトラウマ記憶は、扁桃体に媒介された情動的断片として──時系列が崩れ、文脈を失い、身体感覚や感情の断片として──貯蔵されることがある。

この「断片化された貯蔵」が、解離性健忘の一つのメカニズムだ。体験は記録されている。しかし、通常の記憶検索──「あの時何があった?」という言語的な問い──では到達できない形で貯蔵されている。代わりに、身体が覚えている。特定の匂いで不安が込み上げる。特定の場所に行くと心拍が上がる。特定の声のトーンで身体が凍りつく。──本人は「なぜか」わからない。「何が」あったかを覚えていないからだ。

この現象──「頭は覚えていないが身体は覚えている」──は、解離性健忘が記憶の完全な消去ではなく、記憶の「分離」であることを示唆している。言語的・自伝的な記憶(明示的記憶)からはアクセスできないが、情動的・身体的な記憶(暗黙的記憶)には保持されている。このことは、回復──記憶の再統合──が可能であることの根拠にもなる。ただし、その回復は慎重に、専門家の支援のもとで行われる必要がある。第9回で扱う安定化と回復の議論は、この点にも及ぶ。

解離性健忘と「神話」── 抑圧された記憶論争

解離性健忘をめぐっては、心理学史上最も激しい論争のひとつ──「抑圧された記憶論争(recovered/false memory debate)」──がある。この論争について、ここで最低限の整理をしておく。

1990年代、アメリカを中心に、セラピーの過程で「回復された記憶(recovered memory)」──それまでアクセスできなかった幼少期のトラウマ記憶が、セラピー中に突然よみがえるという現象──が大きな社会的注目を集めた。一部のケースでは、回復された記憶に基づいて親族が告発される事態にまで発展した。

これに対し、Elizabeth Loftus(1993)らの記憶研究者は、人間の記憶が本質的に構成的(constructive)であり、暗示や誘導によって偽記憶(false memory)が形成されうることを実験的に示した。記憶は録画のような忠実な記録ではなく、想起するたびに再構成される。その再構成の過程で、実際にはなかった出来事の「記憶」が新たに形成されることがある。

この論争は、解離性健忘の存在そのものを否定するものではない。解離性健忘は実在する──これは臨床的にも神経科学的にも支持されている。しかし、記憶の回復を目的としたセラピーが、意図せず偽記憶を生成するリスクがあることもまた事実だ。

このシリーズの読者にとって重要なのは、以下の二点だ。

第一に、「思い出せない」こと自体に問題はない。記憶の空白があること──それ自体は、脳が自分を守った結果であり、必ずしも「掘り起こす」必要はない。記憶を回復させることが治療目標になるべきかどうかは、専門家と慎重に検討する問題だ。

第二に、記憶が「よみがえった」と感じたとき、それが正確な記録であるとは限らない。これは記憶そのものの特性であり、解離性健忘の当事者に限った話ではない。すべての人間の記憶が再構成的なのだ。ただし、このことは「あなたの体験が嘘だ」ということを意味しない。記憶の正確さと、体験の真実性は別の問題だ。

§4-49「感情鈍麻」との交差──「感じない」と「覚えていない」

ここで、§4-49(感情が遠くなった人の心理学)との交差点を確認しておきたい。

第2回で離人感と感情鈍麻の関係を見たが、解離性健忘にも独自の接点がある。それは、「感じない」ことと「覚えていない」ことの循環的な関係だ。

感情が遠のく体験(感情鈍麻)が続くと、日常の出来事に情動的なタグが付かなくなる。記憶の定着において、情動は重要な役割を果たす──感情を伴う体験は、伴わない体験よりも強く記憶に残る(McGaugh, 2004)。逆に、情動が欠如した状態で過ごした時間は、記憶に残りにくい。「あの時期何をしていたか覚えていない」という報告の中には、解離性健忘として記憶がブロックされたケースと、感情鈍麻の結果として記憶がそもそも定着しにくかったケースの両方が含まれている可能性がある。

この区別は臨床的に重要だ。前者(解離性健忘)は記憶検索の障害であり、記憶そのものは保持されている可能性がある。後者(感情鈍麻に伴う記憶の希薄化)は記憶形成の問題であり、取り戻すべき「隠された記憶」が存在しない可能性がある。「思い出せない」という同じ訴えの裏にある構造が異なることを知っておくことは、自分の体験を理解するうえでの手がかりになる。

記憶の空白と共に生きること

解離性健忘を持つ多くの人にとって、最も困難なのは、空白があること自体ではなく、空白に対して「どう向き合えばいいのかわからない」ことだ。

空白を埋めたい──思い出したい──という衝動はある。「あの時期に何があったのか知りたい」。しかし同時に、「思い出したくない」という感覚もある。脳がその記憶をブロックしたのには理由があるはずだ──その理由を超えて無理に記憶にアクセスしようとすれば、ブロックが解けたときに押し寄せる情動に耐えられるかどうかわからない。

この「知りたい」と「知りたくない」の間で引き裂かれる体験は、解離性健忘に特有の苦悩だ。

ここで伝えておきたいことがある。記憶の空白を「今すぐ」埋める必要はない。

記憶の回復は、安全な環境で、十分な支援のもとで、当事者の準備が整ったときにのみ試みられるべきだ。そして、記憶が完全には回復しないこともある──それは回復の「失敗」ではなく、回復の一つの形だ。空白を空白として受け入れ、そのうえで現在の生活を安定させることもまた、解離性健忘への有効なアプローチだ。

第9回では、この「安定化」のアプローチについてより具体的に扱う。今の時点では、「記憶がないことは、あなたの欠陥ではなく、心の保護機能の結果であり、それに対する向き合い方には複数の道がある」ということだけを確認しておきたい。

解離性健忘と「自分の物語」── ナラティブの断裂がもたらすもの

記憶の空白は、単に「思い出せない」だけの問題ではない。それは自分の人生の物語(narrative identity)に空白が生じることを意味する。

McAdams(1993)のナラティブ・アイデンティティ理論によれば、私たちは自分の人生を「物語」として構成することで自己同一性を維持している。過去の体験が現在の自分につながり、現在の自分が未来に向かう──この物語の連続性が「私は私である」という感覚を支えている。

解離性健忘は、この物語に穴を開ける。「あの時期の記憶がない」ということは、物語の一章が白紙であることを意味する。白紙の章があっても、その前後の章を読むことはできる。しかし、物語の筋が通らない──なぜ自分がこうなったのか、なぜこの場所にいるのか、なぜこの人間関係の中にいるのかが、白紙の部分なしには説明できない場合がある。

van der Kolk(2014)が指摘するように、トラウマは「物語にならない記憶」を生む。通常の記憶は時系列に沿った物語として語れるが、トラウマ記憶は断片──音、匂い、身体感覚、感情──として存在し、物語の形を持たない。解離性健忘は、この「物語にならない記憶」を意識から隔離することで、残りの物語の一貫性を守っている。しかし代償として、物語に修復しがたい空白ができる。

この構造を理解することは、「思い出さなければならない」というプレッシャーを和らげる。物語の空白は、あなたの記憶力の欠陥ではない。それは、物語に収まらない体験を心が隔離した結果だ。空白のまま生きることも、いつかその空白に言葉を与えることも、どちらも可能な道だ。

古いアルバムが開かれた状態でテーブルに置かれている、ページの一部が白く飛んでいて写真が見えない、アルバムの隣に拾い上げたような古い鍵がひとつ、人物は写らない、記憶の中に空白がある感覚
古いアルバムが開かれた状態でテーブルに置かれている、ページの一部が白く飛んでいて写真が見えない、アルバムの隣に拾い上げたような古い鍵がひとつ、人物は写らない、記憶の中に空白がある感覚

今回のまとめ

  • 解離性健忘は記憶の「消去」ではなく、記憶へのアクセスの遮断──記憶は保持されているが、検索経路が遮断されている
  • 限局性・選択性・全般性・連続性・体系化の5タイプがあり、記憶の欠落パターンは多様
  • 解離性遁走は解離性健忘の特殊形態であり、記憶の断裂がアイデンティティの断裂に至りうることを示す
  • 「覚えていない」と「忘れた」は異なる──解離性健忘は連続的な減衰ではなく、明確な断裂として現れる
  • トラウマ記憶は断片化して貯蔵される──「頭は覚えていないが身体は覚えている」現象がここから生じる
  • 抑圧された記憶論争は、記憶が本質的に構成的であることを示した──記憶の空白を「今すぐ埋める必要はない」
  • §4-49(感情鈍麻)との交差:「覚えていない」の裏にある構造は一様ではない──記憶検索の障害と感情鈍麻に伴う記憶希薄化を区別する視点が重要

次回 → 壊れないために離れた心──解離の「機能」を考える。心はなぜ「ここ」から逃げるのか。その仕組みが保護であった時代と、それが足枷になる時代を見つめる。

シリーズ

「自分がここにいない」 ── 解離の心理学10話

第4回 / 全10本

第1回

「ここにいるのに、ここにいない」── 解離とは何か

ここにいるはずなのに、ここにいない。その感覚には、名前がある。

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第2回

自分が他人になる瞬間──離人感の心理学

鏡の中の顔が、自分のものに見えない。その経験には、心理学的な構造がある。

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第3回

世界がガラス越しに見えるとき──現実感消失の構造

世界が、本物に見えない。その感覚にも、構造がある。

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第4回

「あの時期の記憶がない」── 解離性健忘と記憶の断裂

あの時期の記憶だけが、ない。それは偶然ではないかもしれない。

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第5回

壊れないために離れた心──解離の「機能」を考える

壊れたのではない。壊れないために、離れた。その意味を理解するところから始まる。

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第6回

気がつくと時間が飛んでいた──日常の中の解離

気がつくと、時間が飛んでいた。その空白にも、読み解ける構造がある。

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第7回

トラウマが解離を生むとき──身体が先に逃げる

逃げたのではない。身体が先に退避した。その回路には、歴史がある。

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第8回

「感じないこと」で生き延びてきた──解離と感情の切断

感じないのは、感じられなかったからだ。その凍結にも、解ける順序がある。

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第9回

「ここに戻る」練習──解離からの回復と安定化

「ここに戻る」ことは、一度で終わらない。しかし、戻れる道は存在する。

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第10回

解離と共に生きる──「ひとつの自分」幻想を手放す

ひとつの自分でなくても、朝は来る。その静かな事実が、出発点になる。

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